街道を歩く 12 京街道
京都から大阪までの4次を足して、東海道57次となる。五街道が整備される前から豊臣秀吉が大阪城と京の都を結ぶため淀川沿いに整備した街道である。
秀吉や徳川の時代、さらには幕末の動乱に至るまで、交通の要衝として、また、戦略上の拠点として歴史的に大きな役割を果たした。東から進むと、京都山科の追分から東海道を南西へ別れ、伏見、淀、枚方、守口の各宿場を経て大阪城近くの高麗橋に至る。
およそ50Km、26年5月から6月にかけて4日間で歩いた。
山科の追分(道標は修理中で撤去されていた)
21年10月に東海道を歩いた時の追分の道標
大宅の一里塚
小野・勧修寺
深草付近
京阪・墨染駅付近
伏見・四つ辻の四つ当り
伏見・油掛町
竜馬通り
寺田屋
京橋
伏見桃山城
宇治川沿い
淀城跡
よど神社
淀下津町
御幸橋
男山
木津川
石清水八幡宮
石清水八幡宮から
橋本の街並み
淀川・三川合流(橋本付近)
樟葉・堤防上の道へ(京阪電車)
枚方橋跡
宗左の辻
枚方宿
枚方宿
枚方・淀川堤
鍵屋資料館
大場付近から
八雲付近
浜町・一里塚跡
難宗寺
文禄堤
守口・本町橋
守口・金下町
守居神社
千林付近
関目五丁目信号
京橋商店街
京橋
京橋から
土佐堀川
天満橋
高麗橋
高麗橋
大阪城